釣りの原点の話

前回は釣りに関する書籍を読み込んで釣りに行けない欲求不満を解消してますよって話でしたが

最近、時間あるけど釣りには行けないという状況が多々発生し

釣り関係の本を読んだりYouTube視聴してたり

またYouTube動画編集したり、こうやってブログなんか書いてると

釣りは元気なうちはずっ~~とつづけるんだろうなという境地に達しました。

なぜそうゆう境地に立ったか?

ある程度の期間釣りを続けている人は同じような気持ちを持っている方多いんじゃないでしょうか?

温故知新?若いころの釣りを振り返ることで今後の釣り人生に役立てようかなってことで

今回の記事を書いてみました。

5歳~10歳 川釣りから海へ 

たしか5~6歳ぐらいの時に祖父と近くの川でハエ(アブラハヤ、オイカワ等)釣ったのが初めての釣果でした。

道具は竹竿でシンプルな仕掛け。

エサはミミズかはちのこ(祖父はよくスズメバチの巣をとってましたがエサにしてたのは何バチかわかりません)

みそと小麦粉を混ぜた練り餌、川虫なんかを使ってました。

釣りは祖父に教えてもらいましたが

祖父は川釣りだけで本格的に釣りをしている訳ではありませんでしたが

ほぼ自給自足(専業農家でしたが)で暮らす生活をしていました。

田んぼ、畑、みかん畑、シイタケ

牛飼育、鶏飼育

ニジマス養殖、鯉養殖

水は山の水源からひいてました。

季節の山菜を獲り

イノシシも獲り

イノシシが獲れると

焼き肉、ボタン鍋

鶏が産んだタマゴを食べ

鶏は近くの小川で〆て鶏肉として使ってました。

今でも覚えてますが

祖父が鶏を〆るシーンはまだ記憶にあります。

縁日で買ってもらったヒヨコが大きくなって

祖父の鶏小屋でもらってましたが

いつの間にか食われてたときは大ショックでしたね。

牛は食肉として飼育してましたが

いざ売りに出されるとき牛が泣いていたのも

覚えています。

その時は食肉にされるとは思ってもいませんでしたが。。。

このようにしてある程度、命を頂く大切さは染みついていたと思います。

モットーでもある釣ったら美味しく食べるという私の理念はこのような

背景があるのかな?多分( ´艸`)

そうゆう暮らしの中でも祖父にとって

釣りは楽しみのひとつだったと思います。

祖父は私が喜ぶので暇あれば

釣りに連れて行ってくれてどんどん釣りが好きになっていきました。

小学生に上がると同じ市内ですが

祖父とは別々の住まいになりました。

釣りの頻度は1~3年生では少し減りましたが

4年生ぐらいになると友人と行くようになり

同じくハエ釣りをベースに鮒や鯉、テナガエビを釣ってました。

家の近くの小川

学校が終わってからや休日のちょっとした釣りをしてました。

40年以上前から全然変わっていません( ´艸`)

田舎のいいところですね!

11歳~14歳 一本竿からリール竿へ

小学校5年生ぐらいになってくると

さらに釣りの幅を広げたくなりました。

その当時憧れていたのが

リールを使った釣り!

最初はリールが付けられる安いロッドを買ってもらい

そのロッドにリールをつけないで延べ竿感覚で使用してましたが

まもなくリール(リョービの安いやつ)も買ってもらい

子供ながらに釣り入門的な本をみながら

試行錯誤で仕掛けを作り釣りに繰り出していました。

初めての海釣りは天秤やジェット天秤を使用した投げ釣りから入りました。

今でも昔も入門編はあまりかわらないかも

これがサビキの人もいるでしょうし

それから誘導式のウキ釣りに発展していきました。

限られた予算でいろいろ考えて釣り道具かってたなと懐かしく思います。

特に思い出ががまかつのハリス付きハリ50円のものを大事に使ってました。

ポイントは自転車15分程で行ける熊本県葦北郡津奈木町にある海。

たまに遠征して自転車で40分ぐらいの湯の児海岸。

下のYouTube動画で釣りしてる場所が湯の児島にある堤防です。

エサは潮が引いているとゴカイが掘れたのを使ったり

お小遣いでオキアミや生ミックというエサをよく購入し

ハゼ、キス、クロ(メジナ)、ヤノイヨ(アイゴ)、クサフグ、カワハギ、ベラ、アジ、ウミタナゴ

ボラ、クロダイ、ガラカブ(カサゴ)、ゴンズイなどなど釣っていました。

この頃には危険魚の認識もできてましたが

ヤノイヨ(アイゴ)に刺された友人やオコゼに刺された友人を

目のあたりにして絶対に刺されたらイカンやつという認識を強く思ったのは言うまでもありません。

父はその当時釣りはしておらず

たまに車で海に連れて行ってもらい徐々に一緒に釣りをするうちに

父のほうがドップリ釣りにハマっていき

気づいたら本格的な磯釣り師と化していました( ´艸`)

がま磯シリーズが何本も家にありましたね。

そのおかげで私の釣りも本格的になり

カゴ釣りやフカセ釣りで大きなクロ(メジナ)なんかも釣れるようになってきました。

夜釣りもたまに父と行くようになりさらにディープな釣り世界へ( ´艸`)

熊本のポイントはもちろん鹿児島までポイントが広がったのは大きかったです。

餌釣りに明け暮れるなか

つりトップという雑誌を買ってたのですが

これを購読してるうちにルアーへの憧れが強くなって

その当時はブラックバス、ライギョに憧れてました。

なけなしの小遣いでたしかダイワのファントムという

ジグ?記憶があいまいですが1個だけ買って

ダツを釣ったけど途中でバラした経験があります。

15歳~18歳 受験、部活  釣り休止期間突入

この期間は、受験生としての時間が長いので

必然的に釣りの頻度は少なくなりました。

釣りはしなくとも

夏は海や川では泳ぎまってましたが

受験以外にも部活やらバンド(ギター)やら

もしも、ていぼう部があったら入部してたかもですね( ´艸`)

ただ、時間があれば

父に付き合って磯釣りや堤防釣りには行ってました。

川の淵で釣る野鯉釣りも一瞬はまってた時もあります。

マルキューの大ごい、みどりなんかを使用して

吸い込み仕掛けのぶっこみ釣りでしたが

よく釣れて面白かったです。

水がとても綺麗な川で釣った鯉は

全く臭みもなくとても美味しく食べれてましたね。

鯉に限らずですが

ボラとかあまりきれいなイメージがない魚も

綺麗な海で獲れた個体は格別に旨いです。

18歳になるとさすがに

大学受験優先となり全く行ってなかったですね。

もう心は都会への憧れが強くなった

今考えるとかなりダサイ発想をもった若者になってました( ´艸`)

19歳~26歳 大学生から社会人へ 

無事、大学生となり九州を離れ憧れの一人暮らし!

浮かれてました。。。ほんとにアホでした。。。

釣りのことは忘れ

バンド活動やアルバイトに明け暮れ

お酒も覚えてダメダメでしたね。

いい経験は沢山しましたがほろ苦い思い出も多々あります。

大学生のときに釣りをしたのは3度だけでした。

20:00~から5:00まで飲み屋でアルバイトをしてたのですが

なかよくなったお客様と話しているうちにヘラ鮒釣りが趣味ということで

私も釣り好きなんですよ~と話しが盛り上がり

お付き合いでヘラ鮒釣りをしましたが

結構面白くて思い出になってますね。

結構、ウキのアクションはデカいのになかなかフッキングできない

タイミングの難しさがあり、それがスリリングだった気がします。

機会があればまたやりたいですが。。いかんせんヘラ鮒は基本食べない魚なので

近くの定食屋さんに釣りキチ三平が全巻置いてあって

あ~釣り行きたいなぁ~とはしょっちゅう思ってましたが

なかなか現実は厳しい感じでした。

無事、大学卒業し就職。

入社から2年ぐらいは全く余裕なく休みの日は疲れ切っていました。

その間1度社員旅行で釣り船に初めて乗り

コマセでサバ、ソーダカツオを釣りましたが

もう船酔いがひどくて15分ぐらいでギブアップでした。

そんな私がマイボートで釣りするなんて思ってもいませんでしたが。。。

仕事も慣れてきて3年目ぐらいからちょっと余裕が出てきました

職場の釣り好きな仲間もいて

時間が合えばちょこちょこ三崎や城ヶ島、金谷なんかに

チョイ投げ程度ですが行ってました

釣果はしょっぱいものでしたが。。。

こうやって釣り頻度は減るものの釣り行くとテンション上がるし

ドキドキ感はやっぱり忘れられない。

まとめ

以後、浜松に転勤、車を所有し本格的にシーバス初めて

大きな釣りの転換期がきました!

それからショアジギング、エギングと広がり

もちろん投げ釣りやサビキなんかもちょくちょくやりつつ

タコ釣りにもハマったり

結婚して妻、息子、娘との釣りもさらに釣りが楽しくなった要因ですね。

一人でやる釣りと家族でやる釣りは断然面白いし

一緒にやらなくてもお土産で釣れた魚を美味しく食べてもらう嬉しさ!

あと、何気にPEラインの登場も釣りが快適になり

面白味をアップさせたのは大きいかもしれませんね。

PEラインがなかったらできない釣りがどれだけあるか。。。

そしてマイボートフィッシングに至っています。

永遠に、幸わせになりたかったら釣りを覚えなさい。

という前回のブログで紹介しました中国古諺

おそらく一生釣りは続けて行くのは間違いないでしょう。

ただ釣りのスタイルは歳を重ねることで変化はすると予想されます。

当分スモールボートをベースにした

ジギング、タイラバが中心になろうかと思いますが

なるべく長く続けたいので健康と体力維持活動をすることが

とても大事になってくるなと感じています。

まずはダイエットですわ( ´艸`)

2 件のコメント

  • 私も父とのハヤ釣りががスタートで、中学時代は奥多摩、道志川でオイカワ釣りを楽しみました。以前よく、宮崎の知り合いの知人でクマバチ先生と呼ばれる人がいてその人の獲るスズメバチの酒や猪の肉を送ってもらい美味しくいただきました。

    確かに釣りがないと・・・また今はボート釣りでないと・・・という気持ちですね。本当にこれを生涯続けるためには健康と体力ですね。仕事のほうの中期戦略も具体化したのもあるのですが、長く体力と健康維持のために食事制限もしますしアルコール量も制限してます。

    • はしけ船長さんもハヤ釣りスタートだったんですね!今年、帰省できたら久しぶりにハヤ釣りをしたいなと思ってます。
      クマバチ先生ってキャラクターが想像できてしまいますね(笑)スズメバチの酒は飲んだことないですが祖父はズズメバチの幼虫を
      焼いて食べてました。マムシが浸かった酒瓶も沢山ありましたね(笑)

      50歳になり仕事も釣りも体力&健康が必須だなぁとつくづく感じており私も節制に努めています。

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